ゲストインタビュー:片岡 春雄

寿都町 町長

旭川市出身。1975年より寿都に在住し、寿都町農政課長、保健衛生課長を経て、2001年より現職。2005年北海道立寿都病院廃止の後、町立化と北海道家庭医療学センターへの委託を決定。

風にも味方された、北海道家庭医療学センターへの業務委託。

寿都町立寿都診療所の前身創設は、1871(明治4)年の函館官立病院寿都出張病院にまでさかのぼります。その後、発足した道立寿都病院は財政難のため2005年に廃止。何とか町に病院を残したいという思いから、町立への転換が決まりました。当時の道庁職員との会話のなかから「家庭医」の存在を知り、室蘭の日鋼記念病院理事長(当時)・西村昭男先生のもとへ。「私は医療のイの字も分かりませんが、やる気はあります」と、支援をお願いしました。あんな場面で気取っても何にもなりませんからね。人と人のつながりで大切なのはまずはハート。ハートがつながらなければ何も始まらないと、ただ必死で熱意を訴えました。
二回目には町議会議員全員で日鋼記念病院を訪ねました。当日は大型の台風が接近していて、強風が吹き荒れておりました。ですが、寿都はもともと「風の町」。強い風には慣れています。訪問中止を考える者は誰もおらず予定通りに室蘭に着くと、先方は「まさかこんな風の中来るとは思わなかった」と驚き、我々の熱意に感じ入っていただいた形で、病院運営を引き受けていただく方向で話が進むこととなりました。

「家庭医」の浸透と働きやすい環境作りが私たちの責任。

日鋼記念病院でも人員体制が厳しいなか、医師3名と看護師16名の派遣が決定。そこからの我々の仕事は、いかにスタッフの皆さんがスムーズに、気持ちよく仕事をしていただけるかの応援団であることです。まずは「家庭医」とはなんであるかを浸透させることからスタートする必要があり、講演会の開催などで周知していきました。中学校のリコーダー発表会を診療所で行ったり、高齢者の集まりなどのたびに診療所長に講話をお願いするなどして、町の皆さんにとって診療所が親しみやすいものであるようにも努めました。
また、道立時代には年4億もの赤字を積み上げていた診療所です。当然のことながら、経営には費用が必要となります。それに関しては風力発電の導入で補うとともに、私から議会へは、診療所経営にかかる費用に関して赤字という言葉は使わず必要経費と表現するように要請しました。医療に赤字という言葉は使いたくないというのが、私の信念。医師も看護師も事務方も、オールスタッフが笑顔で働いてくれる職場が私の目指すところです。

小児救急から看取りまでを町内で行える安心への感謝。


道立時代には頻繁に医師が代わっていたこともあり、住民と病院との関係も密接なものとは言えませんでした。住民が地元病院で診察を受ける割合も4割程度、半分以下です。それが逆転したのは町立転換の2、3年後。かかりつけの病院は札幌や小樽にあるという方からも「救急時には町の診療所で診てもらえるから安心だ」という声が聞かれます。さらに、道立時代には小児救急には基本的に対応せず、町外搬送を行っていましたが、現在ではこれも診療所で対応が可能となっています。町内の家庭から「安心だ」という声が聞こえるのに加え、近隣の町からも多くの受診があります。
高齢者が多い土地柄ですので、診療所での看取りも少なくありません。私自身も家内の両親を診療所で看ていただきました。どこの通夜に行っても必ず「本当に最期までよく看ていただきました」と感謝の声が聞かれるのは、何よりもありがたいことだと思っています。高齢者の方自身からも「息を引き取る瞬間まで、安心して生まれ育ったこの町にいられる」と思っていることでしょう。

住民の生活に溶け込む診療所スタッフの姿にこみ上げる思い。

センターからいらっしゃるスタッフの皆さんは、純粋できれいなお人柄だなというのが私の印象。町の行事にも積極的に参加していただいていて、感謝しています。寿都では、寿都神社祭という大きなお祭りがありまして、大人から子どもまで皆で行列を作り、町を歩きます。診療所が発足した最初の年、初代の中川所長がこの祭りに来てくれまして「ここは私から住民の皆さんに所長を紹介して…」と思ったんです。ところが私が紹介するより先に、あちらからもこちらからも「所長、よく来てくれました。ありがとう」という声が飛び交っている。胸が熱くなりましたね。今では医師の皆さんは行列に、診療所スタッフの皆さんは救護班として、祭りに参加してくれるのが恒例になっています。
寿都は沿岸定置網のホッケ漁獲量日本一の町。漁師町の人はぶっきらぼうできれいな言葉では話しませんが、陰口を言うことがありません。人っこいい(人がいい)きさくな住民がわが町の財産。来てくれる人においしい魚を食べさせたいと、虎視眈々待ち構えている人が山のようにいます。この町にくれば本物の家庭医になれると、医療専門外の私ではありますが断言ができます。ぜひこの美しい風の町・寿都で、人生の一コマを過ごしていただきたいと願ってやみません。

※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2018年)