ゲストインタビュー:奥山 盛

北海道上川郡和寒町 町長


和寒町出身。和寒高校卒業後、国鉄をへて1987年北海道庁へ。北海道立寿都病院の廃止に際しては道職員として調整を担当。2014年和寒町長選に出馬し、初当選。2期目。

中川先生たちが辞令を受けたときにはジーンときました。

寿都診療所が開設15周年を迎えると聞き、感慨深いものがあります。町立診療所への移管に際しては道職員として引き継ぎをお手伝いさせてもらいました。寿都町通いが始まったのは2004年ですね。財政難から道立病院の廃止が決まり、その後の医療をどうするのかを町長や町議会、関係者のみなさんとで話し合いました。04年はちょうど臨床研修医制度が始まった年で、都市部や人気病院に研修医が集まり、地域での医師不足が起きるのは必定だったんです。50床の病院から無床の診療所になるのもやむなしという状況でした。
そのとき、北海道家庭医療学センターが若手医師の育成にがんばっていること、更別村の診療所への医師派遣のことを聞きました。町議会を連れて更別村へ視察にいったところ、「こんな素晴らしい医療はほかにない。なんとか呼べないか」という流れになったんです。とはいえ、当時の北海道家庭医療学センターは若い先生ばかりだったのでそんなに簡単には来てくれないだろうと内心思っていました。それから何度も室蘭の日鋼記念病院へお願いに行きましたが、特に覚えているのは片岡町長と町議会議員全員で9月に訪問したときのことです。その日は大型の台風が近づいていて、朝から強風が吹き荒れていました。北大のポプラ並木が倒れた、あの台風です。僕は中止にしようと言ったんですが、町長も議長も「寿都は風のまち。こんな風には負けないから大丈夫」だなんて言って、出発したんです。借りたマイクロバスが浮き上がるんじゃないかという暴風ですよ。命がけでしたね。室蘭に着いたら西村昭男理事長(当時)がびっくりして、大歓迎してくださいました。そういう姿を隣で見ていたので、この町長や議員さんがいる限り、家庭医は守れると僕は確信しましたね。
葛西龍樹先生(現福島県立医大)には、「道庁としても責任を持って支えますから、どうぞ白紙に絵を描いてください。寿都に北海道家庭医療学センターの医療を描いてください」とお願いしました。そうして研修中だった中川先生をはじめとする3人の先生方が手を挙げてくださいました。たいへんな覚悟だったと思います。3人の先生が町長から辞令を受け取ったときには、僕はジーンときましたね。よくぞここまで来てくれたって。
診療所が立ち上がってからの2年間は、とにかく先生方がやりたい医療を実践するためのサポートに動き回りました。これまでのしがらみをどう整理するかも、それと同じぐらい、それ以上にパワーがかかりました。毎朝新聞をもって医局に顔を出し、中川先生に会ってね。「なにか手伝えることはないか」って。懐かしいな。

医療は、水や空気と同じじゃないから。


寿都町から戻ったあとは、広報広聴課をへて、道立病院管理室の参事を3年、その後は医師確保を約3年担当しました。医師確保はそれこそ、崖っぷちを目隠しで歩くような状況でしたよ。それぐらい逼迫した問題なんです。
医療は、そのまちの首長が文字通り首をかけてやらなければならないミッションです。3年間でさまざまな地域の首長に会いました。素晴らしい首長さんにも出会いました。そうした出会いが一つのきっかけになって、2年間の熟慮の末、立候補の決意を固めました。両親には猛反対されました。妻からは2カ月間、口をきいてもらえませんでした。
町長になって6年。和寒町の医療もターニングポイントにきています。町内には30床の町立病院があり、常勤医師は2名で、当直体制を維持するために大学から医師を送ってもらってなんとか24時間体制を保ってきました。
ですが、昨年(2019)度の入院は1日平均4.9人と10年前の5分の1です。病床利用率を上げるため、一般病床を減らし、長期の療養病床を20床設ける計画を立てましたが、看護師数を確保できず、実現にはいたっていません。
それで腹を決め、無床診療所にする方針を議会で公表しました。無床にして当直体制をなくさないと、今いる先生方を守ることもできず、また辞めたときに次に先生が来てくれる見込みがないからです。これは医師の働き方改革でもあるんです。医療は水や空気のようにあってあたりまえでしょうか。現実にはそれは難しい。医師を守れないまちに未来はありません。和寒に医療を残すためには、いま手を打つ必要があるんです。
もちろん、町民の気持ちもわかります。不安に思うのは当然です。いかにして町民のみなさんの心配を低減するか、そのために他の市町村と連携して入院ベッドを確保できるよう動いていますし、町民に直接説明する機会をできるだけ設けて丁寧に説明するようにしています。大きな改革をするときというのは痛みを伴うのはあたりまえで、そのことに恐れていたら絶対に改革はできません。

大学との連携を深め、家庭医・総合診療医が広がる環境づくりを。

北海道に限らず、全国の多くの自治体が医師不足に直面しています。そうしたなか、北海道家庭医療学センターが更別を皮切りに、寿都、上川と3つの自治体の診療所運営を担っていることは本当にすごいことだと思います。医療費の低減や病気予防のための日々の活動など、地域にとって本来必要な医療を実践されている姿には頭が下がる思いです。北海道家庭医療学センターへの期待はますます高まるでしょう。そうはいっても、北海道家庭医療学センターにだってあり余るほどの医師がいるわけじゃないから、いつでもすぐにサイトを増やせるわけではないことも承知しています。やはり、これから家庭医療が伸びる環境、広がる環境を整えるためには大学がカギになるでしょう。
大学の基礎講座のなかに総合診療医講座をつくって、しっかりとした教授を配置して、それこそ北海道家庭医療学センターの先生方も参加して、医学生の教育を担ってくれたら。もちろん、大学という組織を知っているのでそんなに簡単にいかないこともわかっています。10年、20年かかるかもしれません。
それでも道内の大学が本腰を入れなければ、19番目の診療科目が伸びていかないのは明らかです。北海道家庭医療学センターとしても、道内外問わず全国の家庭医・総合診療医に熱心な大学と連携していくことが重要だと思います。僕としてもどういう応援の仕方が自治体としてできるのかを、考え続けていきたいと思います。

※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2020年)