メンバーインタビュー:専門研修プログラム 運営担当責任者対談

参加メンバー
山田康介
医療法人北海道家庭医療学センター副理事長、更別村国民健康保険診療所 所長
宮地純一郎
医療法人北海道家庭医療学センター教育・学習支援センター センター長、浅井東診療所 副所長

『 専門研修コースで何を培うのか? 』

1.患者という〈レンズ〉を通して社会を見る。

宮 地
今日は山田先生とともに北海道家庭医療学センター(以下、HCFM)の教育、特に専門研修コースについてお話ができればと思います。本題に入る前に、読んでくださる方のために、教育におけるそれぞれの立ち位置を整理できればと思います。
2021年4月、HCFM内に「教育・学習支援センター」が立ち上がり、私はそのセンター長を拝命しました。詳しくは[ 以前のインタビュー ]で話していますので、ここでは簡単に触れる程度にしますが、「教育・学習支援センター」は、これまで「専攻医の育成」、「フェローの育成」、それ以外の方のための「組織学習」の3つに分けて行ってきた教育を束ねて、教育全体を大きな絵で描き直すことがミッションです。
そうした中で私の役割は、直接専攻医を指導するというのではなく、HCFMの教育の大きな方向付けや仕組みづくりを行うポジションと考えてもらえたらよいかと思います。

山 田
私の役割は3つぐらいあるでしょうか。1つ目は医療法人北海道家庭医療学センターの経営本部の人間として、法人の経営方針と「教育・学習支援センター」が進もうとする方向の調整役。2つ目はHCFMの教育プログラムの土台を作ってきた一人として、現在専門研修コースのリーダーを務める堂坂先生(寿都診療所)を後方支援する役割。3つ目はプログラム責任者という肩書きで、学会や日本専門医機構などとの対外的な折衝を行う役割です。

宮 地
山田先生は指導医として、日々専攻医と接していらっしゃるので、その視点でもお話をいただけたらと思います。

山 田
そうですね。

宮 地
攻医の研修期間というのは、家庭医としての専門的な技術を習得する期間ではありますが、同時に社会を知る期間でもあります。もっと言えば、診療のための技術を身につけること以上に、家庭医はヘルスケアにまつわる人々の暮らしや社会の制度がどうなっているのかを自分なりにとらえ、分析することが重要だと思っています。
そのためには大中小の3つを〈みる〉時間が必要です。
小さなレベルとしては、診療を通じて一人の患者さんを診る時間。治療をしたり、あるいは治療ができない疾患を生活の中でどう見ていくかを経験します。中ぐらいのレベルは、家族を見る時間です。家族といっても、血縁関係もあれば、血縁関係がなくても一緒に住んでいるとか、関係性が強いとか、現代社会では家族のあり方そのものも広がってきています。
診療は、そうした社会の変化そのものを家族という単位を使って見る機会でもあります。大きなレベルというのは、たとえば村全体、コミュニティ全体といったように、人の大きな集まりを見る時間です。人間は大きな集まりをなんとなくとらえることができないので、一人の患者さんというレンズを通して村を見て、医療職の強みやまちの仕組みを知ります。いうなれば患者さんは診る〈対象〉であると同時に、患者さんを通してその向こう側を見る〈レンズ〉でもあります。専門研修の間は、いろいろな〈レンズ〉が患者さんとして目の前に現れてくるので、それを通して社会を知るわけです。ただ、そういう〈ものの見方〉はひとりでに培われるものではありません。そこで現場の指導医との振り返りが重要になってくるんですね。
振り返りのイメージは経験したことがない人には伝わりにくいですが、外科の世界における〈前立ち〉の役割に例えられると思います。手術の際に第一助手として、執刀医の視野を確保するために介助する存在です。鈎の引き方によって術野の見え方がまったく変わるので非常に重要なポジションです。術野がきれいに見えるかどうかは〈前立ち〉にかかっています。未熟な執刀医の場合は指導医の立場にある人が〈前立ち〉を務めます。家庭医の振り返りにおける指導医の役割は、まさに〈前立ち〉に近いと私は考えています。
たとえば患者さんは83歳の男性。10個ぐらいの疾患を抱えている。奥さんは認知症。家族間に不和がある。集落の中でいろいろないざこざがあり、孤立している。貧困状態である。こうなってくると要素が多すぎて、何を見たらいいのか、どこから手を付けたらいいのかわかりません。そこで指導医が鈎を引く代わりにいろいろな問いかけを行います。この事例のどこに着目したらいいのか、次に何をしたらもっと見えるようになるのか。
振り返りとは、自分がどう思うかを深く掘り下げる側面もありますが、執刀医と前立ちのように共通の事例に向き合いながら、どう切り開くのかを考える作業なのだと思います。10年程前までは医学教育の中で振り返りは研修医が一人で考えるものという捉え方がありました。ですが、本質的には人と人との対話や相互作用であるという考え方がだんだん浸透してきて、相手がいてはじめて成立するという考え方に現在はシフトしています(※1)。

2.再帰性と振り返り。感情的な揺らぎに向き合う。

山 田
専門研修コースは4年間の中で設定された研修目標の達成を目指すわけですが、それを通じて社会人としての医師であったり、人格面での成長も後押ししていきます。HCFMの教育は後者の部分が大きいからこそ、修了生たちは卒後それぞれの現場で、価値ある存在として活躍できているのだろうと自負しています。では、4年間で何を経験し、どう人格面での成長に結びつくのか?それは、診療を通して自己に向き合うからじゃないかと考えています。
多くの医師は、医学部に入りごく限られた人々に囲まれて学びます。自分自身を振り返ってみても、中学時代までは公立のごちゃまぜの環境で育ちましたが、高校、大学へと進むうちに、周りの人間は狭まるように限られていって、それ以外の社会を知ることも少なく、思春期の重要な時期を過ごしたように思います。そうして大学を卒業し、臨床研修、専門研修に入りますが、家庭医の専門研修の現場に来ると、もしかするとこれまでの人生で交わることのなかったような人たちであったり、さまざまな職業、考え方、背景を持つ人たちと関わることになります。
そのとき専攻医である「あなた」は相手に今までにない感情を抱いてしまうかもしれません。心の揺らぎ、困難感、無力感。そうしたネガティブな感情に苛まれるかもしれません。でもそれは、ある意味で仕方のないことといえるでしょう。
医者も人間ですから、感情が揺れ動くのは当然です。だけど気をつけなければならないのは、それにフタをしないことです。指導医である私たちに、そういう感情を包み隠さずぶつけることがとても大事なんです。同じ経験をした先輩として、感情の揺らぎと対峙する方法を知る指導者として、私たちはそれをしっかりと受け止めます。専攻医はそうした経験を踏まえて、プロの家庭医としてあるべき態度であったり、寛容さを身につけていきます。患者さんだけではありません。一緒に働く看護師や事務スタッフとの衝突も経験するはずです。ときとして医師としての傲慢さが顔を出すかもしれない。でも、そうじゃないんだということを逃げずに学ぶことにより、社会人としての成長につながると考えています。

宮 地
とても大事な話です。先ほど「患者を通して社会を見る」という話をしましたが、見るためには〈ものさし〉が要ります。最初に手にしている〈ものさし〉は自分自身でしょう。自分の家族、自分が生まれ育った社会、それらとの比較の中で患者さんや社会を見る。だから同じ出来事でも、見る人によって湧き起こる感情や反応は異なります。患者さんを通して社会を見るとは、自分が生まれてきた社会の影響を目の前の患者さん・家族・地域の中に見る、自分自身を見ることにほかなりません。社会学者や人類学者がフィールドワークでコミュニティを調査するときにも同じようなことが起こるといわれています。その影響をきちんと確認しながら分析をする能力は家庭医の振り返りにおいても重要だと思います。振り返りはともすると、自分の思考や感情だけを見る作業だと思われている節がありますが、実際にはそれだけではないと思います。山田先生の話にあったように、臨床の現場で「患者さんを通して社会を見る」にあたって自分自身の生まれ育った社会や家庭の影響を確認していくことでもあると思います。
こうした話になった時に、自分の主観や感情を排除して、第三者的に振る舞うようになればよいという誤解がよくあります。しかし、社会の側がどんな姿を見せてくるのかはこちらの立場に影響を受ける、そういう前提のもとで社会を見ていることを、私たちは忘れてはいけません。医者はその立場の性質上、常に周りの人に影響を与えながら存在しており、患者・家族・地域は医者向けの姿を見せてきますので、当事者でいることはあっても、第三者の立場に立てることはあり得ませんし、医師として知ることができる社会の姿には限度があります。そういった限界を人式して、患者が経験している社会の姿は自分から見えるものと異なることに気づける能力のことを再帰性(reflexivity)と呼びます。この言葉は振り返り(reflection)と似ていますが、振り返りが自分の内面や過去の経験を考えるのに対して、再帰性は自分の立場の外側にある他者から見える社会を検証する点が異なります(※2)。
我々のプログラムでもここまで明確に名前をつけてこの二つを区別してきませんでしたが、この振り返り(reflection)と再帰性(reflexivity)の両方を培うことが、患者を通して社会を見る力が培われていき、家庭医としての成長につながると思いますし、これからは大切だと思います。
そうした中で、先ほどのように、診療の現場で自分とは相容れない人と出会うこともあるでしょう。そこで感情が揺らいだとしても、医療者として責任を持ってその人をケアするのは医師としての務め。家庭医はコミュニティをまるごと見る立場にあります。多様な価値観、多様な立場の人が、一つの社会で生きられるように支援することを包摂性(inclusiveness)と呼ぶことがありますが、これも「患者を通して社会を見る」ことを鍛錬する医師が目指すと良い、とても大事な力です。

山 田
私たちHCFMが、ありがたいことにいまもなおトップランナーと評価していただける要因の一つは、家庭医としての知識やスキルを磨くのと同時に、宮地先生がいうような力を養うことのできる研修プログラムだからでしょう。これまであまり言語化されることはなかったけれども、おそらくこれは、私たちの研修プログラムが持っているhiddenなカリキュラムといえます。文化といってもいい。ときに目を覆いたくなる複雑な問題に対して、逃げずに、丁寧に取り扱い続けているというのは、HCFMの教育の大きな特徴といえるかもしれません。

3.指導医自ら鎧を脱ぎ捨てる、丸裸の指導。

宮 地
医療は、貧困や偏見、価値観の相違などの結果、生きづらくなっている人たちが身を寄せることの多い場所です。それに対して医療としての〈うつわ〉を用意できるかどうか。それが社会の豊かさとか、厚みみたいなものにつながっていきます。医師はその一端を担うことになるわけですが、家庭医の育成に際して、山田先生は現場でどう専攻医と向き合っているのか、どう鈎を引いているのか、教えてください。

山 田
そうですね。いろいろありますが、まずは自分自身を一つのロールモデルとして見せることでしょうか。完全無欠のロールモデルではなく、人間くさいロールモデルとして、専攻医にはいろいろな面を見せるようにしています。いわば自己開示です。たとえば難しい患者さんに出会ったときに腹が立ったとしたら、振り返りの場でそれを包み隠さずしゃべります。しゃべることで私自身がガス抜きされて元気になっていく姿も見せます。そうやって「指導医ですらそういう感情を持つんだ、持っていいんだ」という暗黙のメッセージを発するんですね。ただ、同時にそれを脇に置いてその方のケアを全うします。そこまで自分を見せないことには、専攻医の中に態度の変化は生まれません。

宮 地
けっこう丸裸の指導ですよね。たしかに指導医側が鎧をガッチリ身にまとっていてはうまくいかないフェーズがあるのは事実です。常に丸裸である必要はありませんが、振り返りの場で必要に応じて鎧を取り外し、自分の経験を話したり、感情を開示する。指導医の立場に立つと完璧を装ってしまいがちですが、いつも完璧なわけではなくて、つまずいたり、うまくいかないこともあったりしながら乗り越えている姿を見せることが大事なんですね。HCFMのプログラムも外側から見ると、老舗で、できあがったプログラムみたいに映っているきらいがありますが、でも現実はけっこう泥臭かったり、丸裸の指導みたいな側面があります。私としてはそこの部分をもうちょっと崩せていけたらいいのかなと思っています。

山 田
たしかに、うちの研修プログラムはそう見られがちです。でも実際には発展途上の部分があって、そこを専攻医のみんなとぶつかりあいながらカイゼンしているんですね。逆にいえば、プログラムとしてまだまだ完成じゃないし、もっといいものにできる余地があります。学習者と指導者が一緒に磨き上げるプログラム、それがいいのかなと思います。

宮 地
そのためにhiddenな部分をもう少し見えやすくする努力も必要ですし、逆に言葉にするのは最後まで難しいところを無理に言葉にしようとしすぎずに扱うというのはこれからも続く挑戦なのかもしれません。山田先生、本日はありがとうございました。

山 田
こちらこそ、ありがとうございました。

参考文献
※1:この点についてより知りたい方は以下をご参照ください。
Eva, K. W., & Regehr, G.(2008). “I’ll never play professional football” andother fallacies of self‐assessment. Journal of Continuing Education in the Health Professions, 28(1), 14-19.
※2:医療者の教育におけるReflectionとReflexivityについての類似点と相違点についてより知りたい方は以下をご覧下さい。
Ng, S. L., Wright, S. R., & Kuper, A.(2019). The divergence and convergence of critical reflection and critical reflexivity: implications for health professions education. Academic Medicine, 94(8), 1122-1128.

※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2022年)