ゲストインタビュー:藤沼 康樹

浮間診療所 所長
日本医療福祉生活協同組合連合会 家庭医療学開発センター 所長


1983年新潟大学医学部卒業。東京都老人医療センター血液科生協浮間診療所所長などを経て2006年より医療福祉生協連家庭医療開発センターセンター長。専門は家庭医療学、医学教育。

プライマリ・ケアの本流を貫く同志として

北海道家庭医療学センターとは長いおつきあいになりますね。草場理事長が(北海道家庭医療学センターの)家庭医療学専門医研修を修了したときだから2003年頃かな。修了試験の外部審査委員として声をかけてもらったのが最初です。当時は、診療所中心に研修をする教育機関が日本にはほとんどなかったから、北海道家庭医療学センターは相当先進的だったし、それゆえに苦労もたえなかったと想像します。
北海道家庭医療学センターが医療法人として独立して( 2008年)からの進歩は、めざましいものがありました。従来のコンセプト重視の教育に事業性が加わって、現実に即したプライマリ・ケア教育に発展しました。病院の付属機関という立場から独立したことで経営面での責任が生まれ、教育と事業が一体化したことが大きかったんだと思います。
僕自身は家庭医療原理主義者で、Family Medicineこそプライマリ・ケアの本流だと思っています。その僕から見て北海道家庭医療学センターは、やっぱり大事な同志なんですよ。都市部で家庭医療を実践する僕たちとは違い、北海道家庭医療学センターの診療所は地方都市から「これぞ僻地」という郡部まで多様な地域に展開しています。フィールドは異なっても家庭医療の原理原則というのは同じで、フィールドに応じてきちっとその形を提示できているところが北海道家庭医療学センターの素晴らしさだと評価しています。
僕は常々、「家庭医療は開業のビジネスモデルとして極めて有効である」と主張していますが、北海道家庭医療学センターはビジネスモデルとしても、行政モデルとしても家庭医療が有効であることを、実践を通して証明している。いつもたくさんの刺激を受けていますよ。

持続可能な地域づくりに必要不可欠なヘルスケアの担い手に

これからの医療ビジネスを考えた場合、1回1回の診療報酬に頼るのではなく、どれだけの人が「かかりつけ」として自分たちの診療所を頭に置いてくれているかが重要になってくると考えています。たとえば「2年前に一度かかったきりだけど、何かあったら駆け込もう」とか、「一度もかかっていないけど、困ったことがあったらあそこへ行こう」と思ってくれる人を地域の中でどれだけキープできるか。診療所が地域住民にとってのヘルスリソースに位置づけられること、これが経営的に成功するポイントでしょう。そして、そういう診療モデル・組織モデルを提示できるのは、内科ではなく家庭医療であるというのはもはや明確です。「とりあえずあそこへ行けば相談に乗ってくれる」という医療の“入口”を担うと同時に、下降期慢性疾患患者の看取りを含めた“最期のよりどころ”を担う。このふたつを備えた診療所というのが、本当の意味でのプライマリ・ケアだと僕は思うんです。

共同体が成立するためには4つの条件が必要です。すなわち、食、住、子育て、そしてヘルスケアです。これからの20年、日本が直面する人口問題などの社会情勢を考慮したとき、最も持続可能なヘルスケアのシステムこそ「プライマリ・ケア・ドリブン」、つまりプライマリ・ケアを核としたヘルスシステムであると僕は確信しています。今後さらに高齢者は増えるでしょう。高齢者と子どもというのは、1日を通して居住地からあまり移動しません。そのレイヤーを中心とした地域経済活動や介護、教育、ヘルスケアを構築する。これこそが「地域包括ケア」です。さあこれを家庭医一人でできるでしょうか。とても無理ですよね。家庭医療の実践は家庭医一人では不可能であり、他のいろいろな職種でチームを作り、グループ・プラクティスによって多面的にケアすることが重要なんです。このとき、医師は、協調性や連携力といった従来の医師像とは違う資質が求められます。
だから僕はよくレジデントに「医学部で教わった医師らしさを捨てろ」と言っています。いわゆるカッコ付きの「医師」と家庭医は違うんです。
ただ、家庭医は「医師」の共通言語が使えます。そのうえで生活言語、つまり地域の中でさまざまな職種の人が使う言語も分かる。これは大きな強みです。縦軸の専門用語と横軸の生活言語、この交点に家庭医がいる。つまり、こっちの価値観とそっちの価値観のどちらも理解できる存在が家庭医なんです。

「医療バカ」にはなるな

しかし実際のところ、そうした家庭医を育成するにはどうしたらいいのか。僕は、これまでの医療教育ではそれは難しいと思っています。以前、他職種連携の研修に携わったことがありました。看護学生と薬学生と医学生がグループを組んで一つの課題に取り組むわけですが、彼らはまったくタイプが違う。看護学生は、言葉を選ばずにいえば、話がクドくて長い。それを聞いていた医学生はついつい言葉を遮って「で、結論は何?」と言ってしまう。彼らは最短距離で結論に近づこうとするからです。
では、なぜ看護学生の話は長くなってしまうのか。それは、プロセスにこだわるからです。看護師はプロセスで悩むことがミッションなんです。実のところ、プライマリ・ケアはこれに近い。つまりね、結論なんかハナからないんだというケースだってあるわけです。ただ、このことを本当の意味で理解するのは、従来の医師研修プログラムの中では難しいでしょう。言葉を換えれば、複雑に考えるという視点がなければ、プライマリ・ケアは務まりません。ある患者の診療に際して過去の症例から「これはあのモデルにバッチリ当てはまるぞ」と脊髄反射的に考えるのではなく、「いや、待てよ。別の見方をしてみると、こうも考えられるんじゃないか?」と多面的にアプローチすることができるかどうか。これはね、おそらく人文科学系の視点を持てるかどうかなんです。だから、医療だけじゃなく、文学や映画、サブカルにハマることは決して悪いことじゃない。むしろ家庭医にとって有効なツールになりうると僕は考えています。
うちのセンターでレジデントに映画課題を出したことがありました。この映画を観て自由に論じてみて、というものです。あるとき『桐島、部活やめるってよ』という映画を課題にしました。
すると後日、レジデントから「全然わかりませんでした」と返ってきました。あぁやっぱりな、と思いました。この映画はいわゆる群像劇です。学校という一つの場にいろんな生徒が集まり、それぞれが悩みを抱えつつ、それを覆い隠したまま互いに表面的に交わりながらストーリーが進んでいきます。複雑に絡み合う人間関係の中で、登場人物たちはときに落ち込んだり、感情を爆発させたりするわけだけど、どうしてそうなるのか、文脈が読めないことには理解できません。僕がこれを課題作品にしたのも、まさにそこが狙いでした。医学部生は得てして、こういう予定調和ではない群像劇が苦手です。でも実際の医療現場は、まさに群像劇なんですよ。
ちょっと話が逸れてしまいましたが、こういった視点というのは医療の勉強だけをしていても身につくものじゃありません。サブカルは一つのツールかもしれないし、興味のあるテーマを自分なりに深掘りする姿勢というのは家庭医として役に立つと思います。教育方法としては、プライマリ・ケアの現場の中で実践を積んで、それを評価して、振り返り、また実践する、この繰り返しが新しい視点を獲得するトレーニングになります。北海道家庭医療学センターでも実践されていますが、そういうトレーニングの先鞭を付けたという意味でも北海道家庭医療学センターは先駆者なんだと思います。
北海道家庭医療学センターには、日本の家庭医療の牽引者として、これからもどんどん医療界を引っ張っていって欲しいと思います。その上で、あえて注文をつけさせてもらうなら、次はアカデミーにおけるリーダーを育成して欲しい。大学教授を輩出してほしい。もちろんそこは、うちのプログラムもめちゃめちゃ力を入れているところではありますが。日本の家庭医療は、残念ながら現状は学術的な基盤を築き得ていません。ここをしっかりと作り上げていくことが家庭医療発展の次のステップとしては欠かせないでしょう。北海道家庭医療学センターで学んだ方々の中から、スピンアウトしてアカデミーの分野で活躍する方々が出てくることを、同志として期待しています。

※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2019年)